Connecting the dots

皆さんは落語を聴きますか?
座布団に座って一人で物語を語るアレです。

落語とは

詳細は不明ですが江戸時代頃発祥と言われています。
話の最後に落ち(サゲ)がつくことが一つの特徴で、話すに合わせて身振り手振りと扇子や手拭いを使って表現する、一人で完結した話芸です。

伝統芸能という観点

元は大衆芸能でした。
内容はくだらないものから感動的なもの、怖いものなど幅広くあります。

コンテンツとしてはテレビやラジオと同じような感じがありますが、なまじ歴史が付いちゃったり伝統芸能と言われるせいで格式というかありがたみというか、堅苦しさが発生して、上辺だけしか知らない人にはとっつきづらさは否めません。
でも聴いてみたら堅苦しさなんてないんですよね。

素人ながらに「落語ってなんだろう」と考えたりするんです。
聴衆は好みのものさえ聴いていれば、そもそも是非を問う必要なんてないんですけどね。
昔から伝わってる内容をその当時のまま受け継ぐべきなのか、当代毎にいじっていいのか。

言葉は変化するので当時通用した言葉が死語になり、当時の当たり前が今では通用しないということもあります。昔ながらそのままを楽しむために聴衆が事前知識(≒ルール)として覚えておくのが正しいのか、噺家が聴衆のために現代用にアレンジするのが正しいのか。
江戸では長屋が当たり前だったようですが、今はマンションやアパートで同じように密集して暮らしてる割に横のつながりは希薄です。

噺家の話術自体が落語だと考えれば自由度は高そうです。立川志の輔とか桂文枝は新作をガンガン作ってますよね。新作も時間が経って生き残ってれば古典の仲間入りになるのかなと。

で、その出来上がった落語をいじっていいのか。一門によって、人によって、同じ話でも演じ方が違ってるので、その延長と考えたらまあ、許容範囲でしょうか。
でも、落語によって江戸の当時が分かるという歴史的価値を考えたら、現代人にわからないからと弄るのは・・・難しいですね。

落語の面白み

すごいことに、落語は同じ話を何回聴いても楽しめます。
同じ話でも噺家によって、また寄席によっても違いがあって、その差を語りだしたら素人からニワカにランクアップできます。
「○○は最近うまくなってきたな」とか言った日には、スポーツ選手の成長を見て感慨にふけるオタクさながらのハマり具合です。

ところで、「日本語」ってすごい言語です。
普段の会話で多少聞き取りづらいところがあったりしますが、話の前後や雰囲気で何が言いたいか分かりますよね。同音異義語も同様にして瞬時に理解できます。すごいです。

そんなすごい言語をフルに使いまくってるのが落語なんです。落語は噺家の身振り手振りもありますが、カセットやCD、音源で売ってますよね。聴いたことあるでしょうか。分かるんです。身振り手振りが分かったほうがもっと面白いですが、なくても内容がわかるんです。本の朗読と違って地の文がなくて、ずっと会話ばかりなのに分かるんです。その上で多少聞き取りづらくても楽しめるんです。落語ってヤバいんです。

何も知らずに聞いて楽しめるのか

手前の方でも書きましたが、あんまり古い話になると聴衆側の知識によっては何言ってるかわからない話があります。そこいらの蕎麦屋に行ってるだけでは花巻や卓袱なんてどういうメニューかわかりませんし、夜のお店に行ってるからといっても吉原のルールなんてわかりません。蕎麦のメニュー程度なら知らないなら知らないで流してしまえる部分ですが、吉原が舞台となると結構厳しいです。

色々聴いていればその内に吉原がどういうものかある程度分かってきますが、その過程を許容できるかどうかは人によります。人に勧めようと思った時にとても悩ましいポイントです。

あと、ずっと聴いている体力があるのかという問題もあります。物語はどんどん進んでいくし、人はいっぱい出てくるけど演者は一人なので覚えられないとか、長時間のコンテンツに耐えられない(映画館で携帯いじってる)人の話をたまに聞きますし、そういう人は結構いるみたいに思えるし、果たして楽しめるのかな。

実生活への応用

書き進めるうちに不安になってきた落語ですが、僕は好きなコンテンツなのでどっぷりのめり込んでいる時期もありました。通勤時間に合った尺の話を聴いたりとか、帰省の移動中とかに聴いてました。

その僕というのはコミュニケーションがとても苦手で、二十歳を過ぎても思春期のモラトリアムから脱出できないくらいに終わっていました。そもそもコミュニケーションのセンスが無いところに外に向かっての発信がへたくそなままだったので、社会に出た時にリアクションすらまともに取れないヤバさがありました。
電話を掛けるだけでも、掛ける前に話すことをまとめて書いて反芻して、話したはいいけどその時点で必死だからまともな会話ができない。

それでも社会に埋没すれば発言の機会は増えるのである程度緩和はしましたが、仕事とか用事における必要事項以上のことは話せませんでした。
これでは円滑な人間関係が築けない、友達ができないのは自己責任だし好き好きで済むけど社内やらクライアントとうまく付き合えないのは詰んでしまう。
危機感が半端じゃなかったので、でもどうしていいかがよく分からず、話芸だから参考になるかなと耳に馴染んだ落語をモデルケースに選びました。

そもそものところで言えばお客は笑いに行ってるからある意味出来レースだけど、耳が肥えてる人もいるから技術は必要で、だからトークスキルの参考になるかも、といった具合です。
まくらで空気を読み、空気を作り、本筋を話し始める。下げ(オチ)があるから投げっぱなしにならない。自分の言葉をひり出すのではなくて「演じて」るのだから身を削らなくていい、相手の言葉を聞ける余裕ができる、そんな感じです。

最初はやや聞き取りづらいトーンから始め、話を聞こうと聴衆は集中する。話が進むにつれて声を張り、聞きやすい状態に持っていく(例:立川談志)。
そこまでのことはしませんが、簡素簡潔なものが全てじゃない、引き出しの少なさはモデルから引っ張ってくる、どうせ失敗するんだから色々やって伸びるのがいいよねと、やってるうちに楽しみというか目標というかが出てきました。

この行為が正しかったのかはよくわかりませんが、ともかくは余計な力が抜けたり気が楽になったので、結果オーライだったなと思います。

逆に話が長くなりがちな癖がついたので、そこは要修正事項です。

最後に

最近は公式チャンネルを立ち上げて落語をアップしている噺家さんが増えてきています。
スマホさえあれば聴けるって、すごい時代になったと思います。
聴いたことない人は一度落語を聴いてみてほしいです。

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